無冠だけど 泣くな俺たち!!
                結束力ではどこにも負けない
S52年卒




◇ 22人の新入部員 ◇


和製ジョージベストと称された大渕さん、松崎さんとの華麗なパスワーク、トリプルハットトリックの吉田さん、俺たちの先輩たちはめっぽう強かった。
その強さに憧れて、迷うことなく入部した。しかし、俺たちを待ち受けていたのは毎日のような「山」「本妙寺」「玉拾い」そして『パンツ競争』だった。

『体育祭用のヤグラに先輩達が陣取って、大渕・山本・・・等の神がいた。俺達はパンツ一丁でゴールからゴールまで走らされた。ラグビー部の連中が笑っとった。屋上には女子も数人いて、笑っとった。屈辱のパンツ短距離走』(森崎)
                 厳しい練習に耐え希望に輝く俺たち新入部員
         森崎 飯田 宗村 岡田 城 道脇 荒尾 寺脇 池田
                              大江  松本   斉藤   甲斐
                                  本田  柳原  毛利
                               (シャッターを押した人たぶん  古賀)
                 
『「1年!全員山!」何度走ったかわからない。どの学年も同じだろうが。手抜きして途中で引き返したことがあったが、先輩にバレて「ヌシどま〜!」と鬼のような形相でにらまれ怖かった』(宗村、古賀)

『1年の頃、何回か本妙寺までみんなで走りに行った。練習で疲れ果てた後の本妙寺行きは、本当にショック以外の何物でもなかった。しかも、先輩をおんぶして階段を登らされた。巨体の内村さんは寺脇がおんぶした。』(森崎、寺脇)

『1年生のそうそうたるメンバーに、正直自分たちも驚いた。というのも、そこには中学校時代の主将や中心選手が何人もいて、当然、1年生当初の他校との練習試合ではダントツの強さを誇っていた。』(宗村、森崎)

『センターフォワードの吉田さんは競り合いに強かった。1対1のドリブルでの競り合いになると、追いすがるバックの顔面をヒジで強打し打ち負かす。練習中、このヒジ打ちが大江の喉もとを直撃し、Oくんがのたうち回ってゲロを吐いたことがあった。』(古賀)

◇ 夏休みの広島大遠征 ◇

顧問の前田先生が広島大学の出身ということもあり、日本サッカー3強の一つ「広島」へ意気揚々と乗り込んだ。

『泊まったのは広島大学のボロい「薫風寮」。お化けでも出そうなすごい所だった。広島県工や皆実高校等と戦った。我々がやってる横のグランドで、四日市中央工業のレギュラーが他校とやっていて「スゴイ」と思った。我々はたしか3軍か4軍と試合した。暑くて喉がカラカラになったのを覚えている。岡田はハーフタイムに立ったまんま気絶していた。内村さんに「岡田〜ッ!!」と往復ビンタされて正気に戻った。
銭湯で「風呂が汚くなるので体をちゃんと洗って湯につかるように」と番台のオバチャンに注意された。風呂上がり後、番台近くでフルーツ牛乳みたいなのをみんなで飲んだり、近くの飲食店のカウンターでカレーを食ったりした。』(宗村、本田、森崎)

◇ 選手権、惜敗に号泣 ◇
レギュラーチームは島原商業の小峰監督(現国見)から練習試合を申し込まれるほど強かった。その試合も3-3の引き分けだった。3年生として大淵さんも加わり、負けるはずのない選手権。しかし勝利の女神は冷たい雨を降らせた。

『あん時は、熊本工業との試合ていうことで、まだ一度も負けとらんかったけん、決勝戦のために、たしか吉田さんとキーパーの古森さんは、養生するとかで試合に出らんかった!してから試合の審判が工業だった!いっちょん反則ばとってくれんかた。たしか1点取られたとも、トラップばかけて完全にオフサイドとったて思たやつがプレイオンで決められたて記憶がある。何にしても後味の悪か試合だった。』(1年でレギュラーだった寺脇)
俺たち1年も先輩と一緒に雨に打たれながら泣いた・・・

◇  2年新チーム結成  ◇
俺たちの下の代にすごい新人が入ってきた。白石純一郎。中学生の全国大会でベストイレブンに選ばれたセンターフォワードだ。
『白石がまだ済々黌入学直前だった。「これが白石だ」と誰かが紹介し、一緒に練習した。古木もいた。そこには大渕さんもいたが、白石がタックルかなんかで大渕さんにケガを負わせ、それで大渕さんはしょぼしょぼ帰っていったことがあった。白石は気の毒そうにしていたが、「な〜んかスゲーやつじゃなあ」と思ったのを覚えている。』(宗村)

総体で上級生がいなくなりいよいよ新チーム結成、しかし・・・
『2年新チームになっての夏のマリストで練習試合。GK毛利の空振りによる失点が印象に残る。フリーなのでペナルティエリア内でボールを待ってキャッチすればいいのに、何を思ったか鬼のようにダッシュして来て右足大空振り。ボールはコロコロとゴールへ。間近に見ててショック、毛利にかける言葉なし・・・』(森崎)
そんなとき我々は『鬼の吉尾監督』就任とともにチームの立直しを目指すことになる。

◇ 地獄の夏合宿 ◇
阿蘇内牧の五岳荘。3階建てで、足が凝るので1年は3階。この合宿は地獄だった。
特に午前の終わりに行なわれるインターバル。およそ100メートルの距離を10本全力疾走。宿舎の階段を這って上った。
疲労でカレーが食えなかった。トイレはしゃがめなかった。


毛利が抜けてからブランクとなっていたゴールキーパーのポジションを誰がやるのかが、この合宿で問題になっていた。
夜のミーティングで吉尾さん、清原さん、前田先生の出した結論は「岡田」だった。
岡田はフィールドプレイヤーをどうしてもやりたかったらしく、その晩号泣した。

◇ 死闘となった選手権、商大付属戦 ◇




地獄の夏合宿をともに乗り越えた吉田、宮崎の2人に加えて岩永、本田の3年
生が加入した。
我々は主将道脇を中心に、選手権に向けかなり順調に仕上がっていた。

午前中に1戦し、昼からのダブルヘッダーという過酷な条件の下、商付と激突することになる。それまでの試合を誰も覚えていないのは、この試合の印象があまりにも強いからだろう。
前半コーナーキックからの奇襲にあっていきなり失点。前半を終わって0−2となった時は「やっぱダメか」というムードが漂った。ところが・・・我々は強かった後半に入り、強力フォワードが本領を発揮。右ウイングの森崎も正面から左足でのシュート、惜しくもバーの上に外す。我が黌はゲームの主導権を握って攻めまくり、一気に3点を奪って逆転!勝ったと思った

ところがあれはいったいなんだったのだ・・・
商付のバックからぼわーんとクリアーされたボールが、コロコロとGK岡田の横を転がりゴールへ。3−3の同点となりPK戦にもつれ込む。

PKの1人目は白石。自信満々思いっきり蹴ったボールが大きく外れる。みんな呆然・・・。2人目は本田さん。練習ではきっちりゴール隅にインサイドで決めていたPKが、どういうわけかポストにコツンと当たって跳ね返る。3人目、4人目は宮崎さんと吉田さん。3年生ながら夏の阿蘇合宿も一緒に参加し、苦楽を共にした2人が貫禄充分、見事に決めてくれた。5人目は、そう岩永さん。岩永さんが決めてくれればまだチャンスはある。みんなが息をのむ中、蹴られたボールはキーパーの正面を突いて跳ね返ってしまった。跳ね返ったボールに本能的にかけ寄る岩永さん!途中で頭を抱えてうずくまってしまった・・・。

全員が号泣していた。地面に突っ伏して泣きじゃくる岡田。試合の実況を清原さんが編集してRKKのラジオで流してくれたが、その中で「岡田泣くな〜あ!泣くな〜岡田〜!」という森崎の絶叫はあまりにも有名になった。その岡田は1年後のRKK杯にも俺たちの中からただ1人参戦し、ペナルティーエリアで所狭しと超美技を連発。すばらしいゴールキーパーになった。あの夏の阿蘇合宿での「GK岡田」抜擢は正しかったのだと思う。
試合終了後、宮崎さんが寒気をうったえた。救急車が呼ばれ担架で運ばれる宮崎さん。まさに巨人の星の劇画を見るような感じで、ともに戦ってくれた3年生を我々は心の底から尊敬した。
最後に前田先生が言った「お前たちは試合には負けたが、勝負に勝った」と。(古賀)

◇ 有終の美 高校総体 ベスト4 ◇



3年になり当初22人いた同期はいつの間にか6人にまで減っていた。それでも残った俺たちは、森崎の俊足と白石の得点力、道脇の守備力を軸にして県下有数のチームに成長していった。そしてサッカー人生のすべてをかけて総体に臨むことになる。


3回戦の球磨工業戦は思った以上の大苦戦。先制点を取られ、白石がゴール前2mのノーマークシュートを左に外す。一つ上の先輩達が土手側応援席から「お前たちゃ何んばしよっとか。てれっとすんな。」と激を飛ばす。松本の当たりそこねの足だったかヘディングだったかがやっと決まったりでどうにかこうにか勝つ。

4回戦の準々決勝は九学戦。開始早々、敵がペナルティエリア外(正面)から強烈なシュート。GK岡田が華麗にジャンプし、ボールはバーに当り跳ね返った。跳ね返ったボールが岡田の右手甲に当り、ボールはそのままゴールへ・・・先制点を奪われる。「岡田気にすんな。ジャンプは良かったぞ。」と森崎が慰めるが内心大いにあせる。しかしその後、松本のそれまで一度も見たことなかったような左45度から素晴らしいシュートが決まる。さらに古賀が3点目を左足で、4点目は森崎がスライディングシュートを決めダメ押し。手をひろげて忍者走りの城の動きも冴え渡り、完勝と言える俺たち最高の試合だったが、この試合で道脇がボールを挟んで相手と激突。右膝故障。準決勝出場不能となった。

そして準決勝。対戦相手は宿命のライバル、強豪熊工。場所は熊商グランド。天気晴れ。応援は多くはなかった。この年の下馬評は、済々黌・熊工・マリスト・九学あたりが強いゾと囁かれていたが(吉尾監督もその気になっていたと思う)、マリスト・九学は既に敗退し、この準決勝が事実上の決勝戦と言われた(自分達で勝手に言った)。道脇の負傷欠場でディフェンスに不安を抱えていた。試合は緊迫した好ゲームで、前半、自陣ゴール前の混戦から、熊工に当り損ねを入れられ先に失点。右ウイング大村の珍しい活躍でチャンスもいくつかあったが、0−1で折り返す。後半、フリーキックから白石がヘディングで得点。とにかく追いついた。・・・そして・・・その時が訪れた。

決勝点は1点目と同じように、ゴール前の混戦からチョロチョロで失点。猛然と反撃するが、及ばずピッ・ピッ・ピ〜。試合終了1−2。我々の3年間は終わった。決勝戦は翌日、熊工−宇土。熊工有利と言われたが、済々黌戦で力を使い果たしたか、予想に反し1−3で宇土優勝。そういえば、あの強かった商附も準決で宇土に敗退していた。(森崎)




◇ そしてマバタキする間に30年が・・・ ◇
現在も我々の学年のうち数名は、教育者として後進の指導に当たる者、シニアリーガーとしていまだに現役としてプレイを続けている者等、サッカーとは縁が切れない生活を送っている。
『俺とか熊本にいる数名は真夏の炎天下、シニアリーグで頑張りよるぞ。亡くなった山本さんや倉本さんのことも考えると、本当に命がけでサッカーをしよるぞ。来年はジダンのマルセイユ・ターンをマスターしようと思いよります。今は、回っただけで目が回りますが・・・』(松本)

『卒業して30年、皆思ってることだろう”あの時に戻って今一度サッカーをやれたらな”社会人になって帰熊し、OB主体のチームに参加し数試合に出場。しかしゴール前でシュートを打つ力が足りない。何度も明日から鍛えるぞ、と思うが酒の誘惑に負けてしまい腹が出るばかり。現役時代の立田山の地獄坂は何だったのか!100メートル先の先輩達に叫んだ。チャッ。アス。セン。シタ。30年前を振り返り、あらためてその時苦しんだ事が懐かしくもあり、青春時代を感じる今日この頃です。』(道脇)

涙目で大声・掛け声の入学時。先輩のプレー盗み猛練習。相手チームのレベルの高さに驚いた合宿・遠征時。監督・部長から強豪相手に「頭使え・根性出せ・楽するな」の激が飛ぶ。夕暮れのグランド、みんなと青春の秘話語り合った感傷時。試合敗れたその日から「受験だ、試験だ、浪人だ」で散って行った18歳。おおいに青春をサッカーと共に謳歌した時期でした。(城)

後輩達と追い出し試合で記念撮影



 編集後記