S42卒の部室
 (文責:伊藤敏治)
1 当時の状況等について

  私たちが入学した昭和39年は、東京オリンピックが開催された年でした。

  そのころのサッカーは、競技人口も少なくマイナーで冬の時代でした。

  我が濟々黌サッカー部も、部が復活して2、3年で、同好会のようなものでした。大嶋先輩に誘われて入部したのですが、部員も12、3人で、即レギュラーという状況でした。私自身も初心者、部員も半数が初心者でした。

  その中で一番の思い出は、1年生の時の新人戦で、部復活後最初の県優勝をしたのですが、その時、我が黌は部費が少なく、ユニフォームを作ることが出来なくて、バラバラのユニフォームで試合に臨み、審判から注意を受けたことです。

  今、振り返れば、優勝したことより、ユニフォームのことが強烈な思い出として残っています。

昨今のサッカー全盛時代、後輩の諸君の健闘を祈っています。

 

2 戦績等について

 

    県高校新人サッカー大会優勝

 

  1回戦(宇土高・松橋高:S40.2.21

        濟々黌 1−0 御 船        熊 商  2−1 八代一

        宇 土 1−0 八 代     玉 名 0−0 熊 本(抽選で玉名)

        松 橋 2−0 マリスト      八代工 1−1 熊 工(抽選で八代)

         東海二 7−2 玉名工       菊池農 0−0 熊本二(抽選で菊池農)

 

     準々決勝(S40.2.27

新聞記事を見つけることが出来なかったが、馬場君からもらったメールで事実が判明したので、掲載する。)

記念誌の原稿読みました。伊藤シャンが書いた記事が懐かしかったです。準々決勝が不明ということでしたが、あの時は熊商に1ー0で勝ったと思います。というのもジーさん(前川君)のコーナーキックを私がジャンプしたら頭に当たり、ネットに吸い込まれたからよく憶えています。会場は宇土高校でした。当時はダブルヘッダーの試合も平気でおこなわれていましたが、御船高校に勝利した後だったと記憶しています。私は菊池の方に住んでいたので、その前の日はジーさんの家に泊めてもらい、汽車で宇土高校に行きました。」

 

   準決勝(宇土高:S40.2.28)   

             1−1                             1−0        

    濟々黌  2(    )1  宇 土       八代工  2(    )0  松 橋

                    1−0                               1−0           

 

      決 勝(宇土高:S40.2.28)

             1−0            

     濟々黌  1(    )0  八代工

                    0−0             


3 メンバー紹介

前 川 隆 道 その後、熊本県教員蹴友団の主将・監督として九州リーグ等で活躍し、現在も熊本県シニアリーグでサッカーを楽しんでいる。
(新聞記事を参照ください。)
伊 藤 敏 治 鉄道会社を早期退職して、今は、不動産管理業。勤務先も携帯電話番号も、※※※−※※※※−7777。
小 島 礼 三 大手下着メーカーの社員でベルギー駐在も2年くらいになるが、「どうせならワールドカップまではこちらに居たい。」とか。
菅 野 幸 裕

大手ゼネコンの九州支社勤務。
1年先輩の高光さんも同社勤務とか。

積   道 英

銀行を早期退職し現在は公務員。
プライベートな活躍は、下記を参照されたい。             
http://www.k3.dion.ne.jp/~seki/index.html

馬 場 哲 雄 某女子大学大学院教授、本来の研究分野はスポーツ哲学や社会学。近年は、「生涯スポーツ」などにシフト中。詳細は、下記を参照されたい。
http://www.ikuta.jwu.ac.jp/ge_graduate/index.htm
松 枝 民 生

地元銀行から地元百貨店に出向中。 大きな体を折り曲げて、「いらっしゃいませ」と開店時に迎えてくれることもあります。

真 野 直 克 東京で、高級ホテル(静かなところですが金メダルが飾ってあるかもしれません)のホテルマン。上京の折は是非ご利用ください。
山 本 義 隆 平成7年9月没
  

 

4 回想記に代えて

  今回の記念誌を作成するに当たって、吉尾さんから相談を受けたS43年卒の宮原君が馬場君へ出版記念パーティでの講演を依頼した。

その依頼メールとそれに対しての馬場君からの回答メールを入手し、当人達の了解を得たので回想記に代えて掲載する。

 

From:馬場 哲雄 (2004/09/03 08:33):

宮原君へ

馬場です。お元気そうでなりよりです。先日は折角上京されたのにお会いできず、申し訳ありませんでした。電話で話しましたように、現在は立場上、研究や教育以外の大学の行政(私学なので経営が主ですが・・・少子化で学生獲得で何かと大変です)の方面で忙殺されています。講演の件、趣旨は分かりましたが、かなり難しいかと思います。でもその他のことでお役に立つことがあれば協力します。

 

宮原さんと言えば、前川君の中学の後輩でしたよね。陸上部の横井君もそうでしたよね(その後の野上君もそうでしたよね)。私が3年の時に宮原君は右のインナー、私は右ウイングでしたよね、左は伊藤君と前川君、センターは1年の野上君でしたね。ということで、右サイドで宮原君とはコンビを組んでいた記憶があります。今では戦術が全く変わりましが、WMか4・2・4のシステムが全盛だったと思います。私は足が速いというだけで試合に出ていましが、今考えると、小学生にも劣る技術だったと思っています。

 

吉尾さんのクラマーさんの言葉の引用であるThink before look beforeは、今でも学生(テニス、ソフトボール、ラクロス部など多数の部長兼監督です)に「先見性、判断力の重要性」として話すことがあります。

 

長くなりましたが、「私の本来の研究分野はスポーツ哲学や社会学ですが、現代社会学科という所に所属している関係で、「高齢者の余暇、健康の研究」の方にややシフトしています(数年前、熊本の県立図書館に行ったら私の著書がありました。もう無いかもしれませんが・・)。もし良かったら、著書を送付しますので送り先をお知らせ頂けたら幸いです。

 

では、これから論文の締め切りが近づいていますのでそちらの方にパソコンの操作を移行します。ではお元気で


From: "宮原 才郎"
To: " 馬場哲雄"
Sent: Friday, August 27, 2004 5:37 PM
Subject: 初めまして、宮原です。

先日は、突然の電話、失礼致しました。また、本日は、お電話ありがとうございました。
今朝ほどお話しさせていただいた講演依頼の件は、次のような経緯から、私が思いついたものです。一応、吉尾さんと前川(弟)=OB会事務局長ほか数人の賛同を得ております。
「もし、都合が付けば」程度で結構ですので、御検討をお願い致します。
    (1) 背景
  吉尾監督が「自分の時(S39卒)以降のサッカー部の歴史を整理したい。」と、昨年頃から言っ
ておられた。吉尾さんが、来年、還暦を迎えられる。吉尾さんが、来年4月から総監督になることが内定した。

    (2)   計画(案)

  記念誌発行は、WCフランス大会の実績がある(その節は、御協力大変ありがとうございました。)ので、原稿を各学年に分担させれば問題はない。
 勿論、総監督就任・還暦祝賀会兼記念誌出版パーティをする。
 旨いビールを飲むためには、紅白試合をしよう。
 (どうせなら、真夏の炎天下の水前寺競技場《今は立派な芝張り》で、「よしと言うまで走れ!」を再現しよう。)
 それだけでは、品がないので、格調高くなるよう馬場教授に講演をお願いしよう。